「何者かになりたい」と友人が言っていたのを思い出した

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正確にいつそう言っていたか覚えていないが、5年以上は前に友人がTwitterでつぶやいていた。

「何者かになりたい」

彼はクリエイターを目指していた。

当時の僕は、その「何者か」の意味がよく理解できていなかったけど、まぁ『有名な人』になりたいのだろうなと何となく掴んでいた。



最近ではよく『インフルエンサー』という言葉を見かける。
同様に、フォロワー数を稼ぐよう煽る言葉も見かけるようになった。

インフルエンサーとは発信力が高いために影響力が強い人。
単純に言うなら、Twitterならフォロワー数が多い。Youtubeならチャンネル登録者数が多い。


インフルエンサーはビジネスにも使える。

「○○が美味しかった!」
と、インフルエンサーがコンビニのスイーツの写真と一緒にツイートする。

これだけでそのインフルエンサーを信頼している人たちがツイートを拡散し、同じ商品を買っていく。

インフルエンサーのツイートはバズり、多くの人の目にさらに届くこととなって、商品はさらに売れる。

そういう例は稀によくある。



インフルエンサーはお金になる。なら自分もなればいい。

ということで、フォロワー数を稼いだアカウントの売買や、フォロワー数を売る業者があったりもする。

でもフォロワー数を買っても、Twitter社の力によって買った分のフォロワー数が減ることは周知となった。


今度はフォロワー数を増やすコツが出回るようになる。

Twitterを眺めていると、RT数が多いツイートが回ってくるのは当然のこと。

でも、ツイートの内容が自己啓発本を読めばいくらでも載ってそうな話だったりする。
『偉人の名ゼリフを引用しまくる意識高い風の人』を彷彿とさせる。

こういう、どの層に受けているのかも理解できにくいツイートが増えてきた。


インフルエンサーになると良いことがあるのは確かなこと。
自分の発信が多くの人に届くというのは、今の時代では強い力になる。味方が増えれば、自分ができないことを簡単にできる人が手伝ってくれるかもしれない。
ただただチヤホヤしてもらえるかもしれない。


じゃあ小手先の方法でフォロワー数を増やしたとして、その人達は味方をしてくれるのだろうか?
その人に魅力を感じているのだろうか。

そうはならない、と言いたいがフォロワー数に騙される人は多い。

フォロワー数だけでなく、真偽のつけられない肩書、真偽のつけられない稼いだ金額。
考えることなく、なんか凄そうという雰囲気に反応する人は多い。

そういう風にして出来上がったフォロワーをお金に変える。

その人にとってのビジネスのやり方は否定はしない。



「何者かになりたい」という言葉を思い出したとき、今では『インフルエンサー』と呼ばれる人たちのことだな、と思った。

「インフルエンサーになれ、フォロワーを増やせ」
とか
「インフルエンサーになりたい、フォロワーを増やしたい」

という人たちの言葉は分かる。

何者かになるということは、自分を認知している人が多いから。認められたいという欲求を満たしてくれる。

だから煽るし、煽られる。



じゃあ。現在フォロワー数が16人の僕が、今、瞬時にフォロワー数が10万人になったとして。

何が変わるかというと、僕の本質は何も変わらない。

無職。(こういう情報は嘘をついても事実は知られないが、正真正銘の無職で収入はほぼない)
できることはゲームやたまにブログを更新すること。

何の積み重ねもなく。
人を惹きつける能力がなかったために、フォロワー数が少なかった自分のまま。

この状態でツイートしたとして、10万人のフォロワーにチヤホヤされるだろうか。
騙されやすい人からはもてはやされるかもしれない。でも、

それは実に空虚じゃありゃせんか?


自分の言葉で発信して、それで集まった人にこそ価値がある。
自分の発信に価値があったからこそ、人が集まっていく。



何者かになりたいのなら、小手先ではなくて自分が変わらなければならない。

そもそも、本当に自分が『何者か』になりたいのか、というところから考えたい。

職業や人間関係など、今自分が置かれている状況を忘れて。

本当に自分がしたいことはなにか。自分はどうなりたいのか。

未来の自分を想像する。


それこそインフルエンサーとなって人々にチヤホヤされている自分が想像できるかもしれない。でも、それだけだろうか。

本当に自分がやりたかったことで様々な人を幸せにして、そうして周囲に人々が集まっている。

そうした未来が見えるのではないだろうか。


未来が見えるのなら、『何者か』になるのではなくて、『未来の自分』になる、ということが分かる。


『過去』の自分が『今』の自分を作るのではなく、『未来』の自分が『今』の自分を作るという考えかたがある。

『未来』の自分に『今』の自分が近づいていく、ということ。


実態のよくわからない『何者か』を目指すのではなくて、『未来の自分』を目指すことで本当になりたかった自分になっていく。

未来の自分へと近づく過程で周囲の人々を幸せにしていれば、自然と認知されていくことになる。

『価値のある個人』に近づくほど、他人から見た『何者か』になっている。